浮城、安住城ともいわれた富山城。加賀前田家の分家であった越中前田家の居城だった。
平城で、神通川(現在の松川)の流れを城の防御に利用したため、水に浮いたように見え、浮城(うきしろ)の異名をとり、難攻と言われた。
富山は北陸街道と飛騨街道が交わる越中の交通の要衝だった。
現在、本丸と西の丸の一部が残り、富山城址公園となっている。
1954年に3重4階建ての城郭を模した天守閣が建てられ、富山市郷土博物館として富山城の歴史を紹介している。
前田利長が使用したといわれる、高さが140cmもある兜も展示。
4階の天守展望台からは富山市街を一望できる。
建物の外観は彦根城や犬山城など、全国の現存天守を参考にデザインされた慶長様式。国の登録有形文化財(建造物)に登録。
富山城は1543年頃にこの地の豪族が越中東部の進出のために築城したとされる。富山城に拠点を構えた佐々成政が1585年に豊臣秀吉と敵対して降伏し、富山城は破却された。
1595年に前田家が富山城を再建。富山前田氏の居城として明治維新を迎え、1871年の廃藩置県により廃城となった。
9:00~17:00
年末年始
臨時休館あり
大人 210円
高校生以下 無料
富山駅より徒歩約10分
環状線(セントラム)「国際会議場前」から徒歩約2分