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光徳寺(南砺市)

(こうとくじ)

南砺市を代表する真宗大谷派の寺院

五百年の歴史と芸術が息づく福光の名刹

光徳寺は、富山県南砺市(旧福光町)西部・法林寺地域にある真宗大谷派の名刹で、山号を「躅飛山(ちょくひさん)」と称します。その名には、寺に伝わる不思議な伝承と深い信仰心が込められています。

文明3年(1471年)に創建された500年以上の歴史を誇る古刹であり、越中における真宗の重要拠点である城端別院善徳寺と同じ起源を持つ寺院として知られています。

その長い歴史の中で、地域の信仰を支え続けてきただけでなく、世界的に名高い版画家・棟方志功とも深い縁を結んだ寺院として注目を集め、現在では「歴史」「信仰」「芸術」を同時に感じられる貴重な観光スポットとなっています。

棟方志功ゆかりの寺――心揺さぶる芸術と出会う場所

光徳寺は、第二次世界大戦期から戦後にかけて、日本を代表する版画家棟方志功が長期間滞在した寺として非常に有名です。
志功は昭和20年から約6年8か月を福光の地で過ごし、その間に多くの名作を生み出しました。光徳寺では住職・高坂家との親交を通して心の拠り所を得て創作に没頭し、寺の歴史と芸術が強く結びつくきっかけとなりました。

境内を彩る圧巻の襖絵と芸術作品

境内で特に目を引くのが、棟方志功が霊感を受けて一気に描き上げたと伝わる大胆で荘厳な襖絵「華厳松」です。
裏山を散策中に突如強烈な創作意欲に駆られ、寺に戻ると勢いのまま筆を振るって完成させたといわれるこの作品は、志功芸術の魂が宿る迫力の一枚。
静かな寺院空間にありながら圧倒的な存在感を放ち、訪れる人の心を深く揺さぶります。
また、光徳寺には志功の作品が数多く収蔵されており、芸術ファンにとって見逃せない場所となっています。

光徳寺の歩み――信仰と歴史が紡いだ悠久の物語

光徳寺は、真宗大谷派の名刹・城端別院善徳寺と同じ起源を持つ寺院として知られています。その起源は、加越国境の砂子坂道場にあるとされ、福光地方において重要な信仰拠点としての役割を果たしてきました。

創建と起源――蓮如上人との深いつながり

光徳寺の歴史は非常に古く、『元和九年光徳寺縁起之記録』によれば、開祖は高坂治郎尉と伝えられています。
文明3年(1471年)、本願寺第八代蓮如上人を吉崎御坊に訪ね、法名「道乗」と阿弥陀如来像を授かったことが寺の始まりとされています。
さらに、加賀・越前・越中を結ぶ中通り沿いに広がる真宗布教の流れとも強く関係し、歴史的にも重要な役割を担ってきました。

本願寺5代綽如の三男である周覚(玄真)の後裔は北陸地方で布教活動を行っており、特に「中通り道」と呼ばれる交通路沿いに真宗寺院を創建していました。『善徳寺縁起』によると、蓮如は吉崎に滞在中、砂子坂に立ち寄り道場を建立するよう手配し、周覚の孫である蓮真にその任を託したと伝えられています。

砂子坂道場の発展と本尊

このような記録から、道乗(高坂治郎尉)が砂子坂に道場を築き、そこに阿弥陀如来像を安置したことが分かります。伝承によると、蓮如はこのとき「新保極楽、荒山地獄、花の名所は砂子坂」と詠み、蓮如自らが鋳造に関わったとされています。この逸話は、砂子坂の人々が鋳物師集団であったことを反映しており、現在も集落内にタタラ場跡が残されています。

戦国時代の移転と光徳寺の確立

蓮如による移転と加賀守護の弾圧

文明年間、蓮如の吉崎滞在により真宗門徒は急増し、これを危険視した加賀守護・富樫政親によって文明7年(1475年)に真宗門徒への弾圧が行われました。これにより、高坂氏の拠点であった加賀国井上荘を追われた蓮真の系譜は、山本・福光を経て城端善徳寺へと発展していきました。

光徳寺の発展

一方、道乗の後裔は砂子坂に留まり、光徳寺を創建しました。光徳寺は戦国時代を通じて石黒地域に勢力を拡大し、文禄3年(1594年)には法林寺・山本・岩木・三屋などに末寺を抱えていました。これらの地域は、かつて福光石黒家が支配していた石黒荘石黒郷であり、光徳寺の発展は高坂氏が再びこの地域の信仰を掌握していく過程でもありました。

落雷による焼失と再建

しかし、天正18年(1590年)、砂子坂の堂宇は落雷によって焼失。伝承によると、この火災で高坂家の系譜や宝物は失われたものの、本尊の阿弥陀如来像だけは火中から飛び出して躑躅の上に鎮座し残ったといいます。この出来事が「躅飛山」という山号の由来となりました。

法林寺への移転

その後、文禄4年に高坂光乗坊は砂子坂を離れ、加賀国田近郷二日市村に本尊を移しました。慶長19年(1614年)には、法林寺村の末寺檀家の尽力により、光徳寺は法林寺集落に移転し、以来この地に寺院を構えています。

近代以降の光徳寺――地域と共に歩んだ近現代史

明治維新後の廃仏毀釈では、多くの寺院が厳しい状況に置かれました。光徳寺も例外ではありませんでしたが、地域僧侶や住民が協力し合いながら危機を乗り越え、信仰の灯を守り続けました。
そして昭和期には棟方志功との出会いにより、光徳寺は「信仰の場」であると同時に「芸術文化の聖地」として新たな評価を得るようになりました。境内には志功の歌碑も残され、その存在が今も寺と芸術の深い縁を象徴しています。

文化財と寺宝――貴重な歴史資料を今に伝える

光徳寺には、南砺市指定文化財である文明18年の「蓮如書状」や文禄3年「砂子坂末寺之覚帳」など、歴史的価値の高い資料が多数残されています。
これらは寺の歩みだけでなく、越中地方の宗教史・地域史を知るうえでも極めて貴重な史料であり、訪れる人に深い学びと歴史ロマンを与えてくれます。

境内散策――静寂と歴史を感じる癒しの時間

光徳寺の境内は落ち着いた雰囲気に包まれ、歴史ある建造物や文化的景観が美しく調和しています。
山門には蓮如上人の図が掲げられ、訪問者をあたたかく迎え入れてくれます。
静かに佇む寺院空間を歩くだけで心が穏やかになり、歴史と芸術が織り成す奥深い世界に浸ることができるでしょう。

観光情報

拝観時間・料金

営業時間:9:00~17:00
定休日:火・水・木曜日(祝日は営業)
拝観料:一般500円

アクセス

JR城端線「福光駅」から金沢行バスで約6分、「華山温泉前」下車後徒歩5分。
東海北陸自動車道「福光IC」から車で約15分とアクセスも便利です。

信仰・歴史・芸術が融合した唯一無二の寺院――光徳寺へ訪れてみませんか

光徳寺は、単なる歴史ある寺院というだけでなく、信仰の重み地域の歴史、そして世界的芸術家の魂が重なり合う、非常に稀有な魅力を持つ場所です。
静寂の中で心を落ち着かせたい方、歴史に触れたい方、芸術に感動したい方――いずれにとっても忘れられない体験となるでしょう。
南砺市を訪れる際には、ぜひ光徳寺へ足を運び、その魅力をじっくりと感じてみてください。

Information

名称
光徳寺(南砺市)
(こうとくじ)

砺波・五箇山

富山県