城端曳山祭は、富山県南砺市城端地域で毎年5月5日に行われる、城端神明宮の春季祭礼です。江戸時代中期の享保年間に成立したとされ、約300年にわたり地域の人々によって大切に守り継がれてきました。豪華絢爛な曳山と、雅な庵屋台、そして江戸情緒あふれる庵唄が一体となった祭礼形式は、全国的にも極めて貴重な存在です。
城端曳山祭は、江戸時代から続く古い神迎え行列の形式を今も色濃く残している点が高く評価され、2002年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。さらに2016年には、「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録され、世界的にも価値ある祭りとして認められています。
獅子舞・剣鉾・傘鉾・神輿・庵屋台・曳山が一体となって巡行する構成は、富山県内でも城端のみで見られる独特のものです。
城端は、真宗大谷派の名刹・善徳寺を中心に発展した門前町で、16世紀後半には市場町として栄えました。1574年に神明社が創建され、1685年の社殿再建を機に春秋の祭礼が始まったと伝えられています。
1719年には曳山が完成し、1724年には神輿巡行に曳山が加わり、現在の城端曳山祭の基礎が形づくられました。明治末期から大正時代にかけては、各町内が競い合うように改良を重ね、現在見ることができる絢爛豪華な曳山へと発展していきました。
城端では曳山を親しみを込めて「ぎゅう山」と呼びます。6基の曳山はいずれも高さ5〜6メートルを超える堂々たる姿で、上層には御神像が安置され、下層には精緻な彫刻や漆工芸が施されています。
曳行時に車輪が「ギューギュー」と音を立てることからこの名が付けられましたが、この音は偶然ではなく、鳴り板と呼ばれる木片を用いて意図的に鳴らされています。曳山が動くたびに響くこの音は、城端曳山祭の象徴ともいえる存在です。
城端の旧市街は道幅が狭く、曳山はその中を縫うように巡行します。そのため、屋根の軒が可動式になっており、必要に応じて幅を縮める独自の構造が採用されています。大工町の路地では、現在もその可動の様子を見ることができ、祭りの大きな見どころとなっています。
曳山を先導するのが、京都の茶屋や江戸の料亭を模した庵屋台(いおりやたい)です。6台の庵屋台はいずれも二層構造で、上層には精巧な建築模型が載せられ、下層では若連中が囃子と庵唄を奏でます。
格子造りや水引幕、欄間彫刻など、町ごとに異なる意匠が施されており、見比べる楽しさも格別です。
庵屋台の中で唄われる庵唄は、江戸時代の端唄を源流とし、現在も数十曲が伝承されています。三味線、横笛、太鼓の音にのせて唄われるその旋律は、しっとりとした色気と品格を感じさせ、城端曳山祭を語るうえで欠かせない要素です。
演奏と唄を担うのは、各町内の若連中と呼ばれる青年たち。寒稽古と本稽古を重ね、祭礼当日には紋付袴姿で庵屋台に乗り込み、所望所で庵唄を披露します。
5月4日の宵祭では、神様を迎えるための「飾り山」が行われます。曳山の御神像は、その年の当番町の家「山宿」に安置され、一般にも公開されます。
町屋の座敷に厳かに飾られた御神像を間近で拝観できるこの行事は、観光客にも人気が高く、徒歩で巡っても1時間ほどで全てを見ることができます。
5月5日の本祭では、早朝に御神像が曳山へ戻され、獅子舞・剣鉾・傘鉾・神輿の渡御行列が出発します。その後、善徳寺前で庵屋台と曳山が合流し、絢爛豪華な巡行が始まります。
夕刻になると曳山は提灯山へと姿を変え、昼間とはまったく異なる幻想的な雰囲気に包まれます。夜遅くまで続く巡行は、城端曳山祭のクライマックスです。
城端曳山祭は、単なる観光行事ではなく、町の歴史、信仰、職人技、そして人と人とのつながりが凝縮された生きた文化遺産です。時代の変化や困難を乗り越えながらも守り継がれてきたこの祭りは、今もなお城端の人々の誇りとして息づいています。
越中の小京都・城端で、三百年の時を超えて受け継がれる春の祭礼。その魅力を、ぜひ現地で体感してみてください。